『青い石を君に』

 つまらない。
 そう思うことが、高飛車な娘だと影で揶揄されるのだろう。
 ベクトラ家のお嬢さんは、下は素直だが言動が軽く、上は明晰だが高飛車すぎる、と。
 それがなんだというのだ。
 それでもパーティは円満に終わった。
 ベクトラ家のご令嬢であるオペラの誕生日は、前日の夕刻から日付の過ぎる明朝までパーティが催された。
 華やかな宴と華やかな客人、そして誰より華やかな主役。
 彼女が求められるものはすべてやり通した。誰もを魅了する、素晴らしい笑顔だったでしょう? 誰もが肯定する。幸いなことに、己の華を揮うのは得意だ。それが自身の為ではなく、家の為であっても。
 自室に戻り、捧げられた贈り物達の山に一旦は目を閉じる。部屋にいた使用人たちは、その隙に頭を下げて静かに退室した。
「なによ、お酒もあるじゃない」
 ひたいの瞳が瞬いた。少しは気の利いた知り合いもいるようだ。
 パーティでもドゥルフォールだのロマネコンティだのは振る舞われていたが、作り笑いをして飲む酒の何がおいしいのか。味への冒涜だ。
 使用人たちもオペラの趣味を少しは分かっているようで、目につく場所にワインボトルが並んでいた。
 この部屋にある気品と彩あふれた品々は、既に使用人たちによる危険物チェックが、中身を開かずに施してある。妹のオパールが爆発物を受け取った不愉快な事件から、警備が厳重になった。だからここに届くのは要人が優先で、大学の友人たちからのものは早くても明日になることだろう。
 大学教授が、贈ってくれたかどうかは、分からないにしても。
 あの考古学者は、今どの辺りにいるのか。
 ついていきたかった。先回りして驚かせたかった。多少の迷惑も冒険のスパイスよね。映画の金髪女ほどは喚かないわ。
 白のワインは金色に映る。澄んだ色が、グラスの中でくるりとくるりと巡る。
 なんだかんだで胸躍る日々を、煙たい歴史を、あの人は今も楽しんでいるのだろう。うまい酒が飲みたいとぼやいて、湿気た煙草をくわえているのだろう。いざというときに『蛍火』の調子が悪いと、顔をしかめているかもしれない。
 ひとりで楽しむなんて、ズルイ話だ。
 こちらはこんなにつまらないのに。
 あなたがいなくて、つまらないのに。
「会いに来なさいよ、エル」
 ショールを外し、グラスを傾け、贈り物のひとつであろうカウチソファに寝転がる。
 行儀の悪いことだが、それがなんだというのだ。
 自覚はある。改善はされない。それが心底から善だと思えない限りは。
 胸元の石に触れようとして、豪奢な飾りが指に当たる。今は求めたそれがないことに気づく。
 邪魔な重い首輪を苛立ちながら外し、あの青いティアドロップを心の中で広げていた。
 朝の空、夜の空。海の色、宇宙の色。

::

 あの小さな石は数年前に、オペラとエルネストが未開惑星に調査に向かった際、手に入れたものだ。
 美しい海に覆われた惑星だった。古代遺跡の封印を解いた礼に、原住民たちが寄越した代物。
 本来ならばこの種の石は睫毛ほどのサイズが普通との話だが、それは特別に大きい涙型。日常においての使い方とは異なり、貴重な品物として奇跡を見出され、現地の宗教にて祀られていた。
 いずれ、当事者である考古学者が手記をまとめて出版するだろうから経緯は省くが、異邦人によって文化に改革が起こり、石は結果として彼女らの手に渡ることとなった。もしあれからあの国が平和になったとすれば、英雄だ。悪くなっているとすれば、神になるだけ。
 無事帰還してから分析にかけたところ、魔力を秘めていることと、テトラジェネスには存在しない物質……とまでは判明している。
 そのせいで持ち込むには幾らか苦労もしたが、その話もまた手記に任せよう。


 分析機から、丁寧に青色の石を取り外す。
「成分はいまいち謎だけれど……ま、危険はなさそうね」
 石を指で弄りながら、光に透かして見ると青色が強く輝いていた。
「やれやれ、ただの宝石ってわけか」
「残念?」
「いや。それなら安心して、オペラにプレゼントできそうだな」
「あら。贈ってくれるの?」
「この石の故郷を想いながらね」
 あの惑星での日常においての使い方は、分かりやすく言えば、求愛の小道具。プロポーズの印。
 愛のあかしにしてはいささかプラトニックすぎるとしても、目を輝かせて喜びたい代物だ。
 指の温もりと共に、石が渡される。そして、現地の古い言葉で囁かれる『愛し合って暮らそう』。
 だが、今はその時期でないことは知っている。
 だから彼女たちは、いつも通りの熱烈なキスをした。
「分かっているでしょうけど? この石だけじゃ約束にはならないわ」
「そうだな。お嬢様の満足を叶えるには、まだ遠いかな」
「遠いわね。ご足労願えるかしら」
「なるべくがんばるよ」
 ご令嬢と永遠を誓って愛を続けるには、レヴィード教授の権威と実績はあまりに足りない。
 元よりベクトラ家が鼻息で吹き飛ばせないものは少ないにしても、対等に渡り合えるはずはない。パトロンをしている、ただの貧乏学者のひとりだ。庶民であれば収入も評判も申し分のない、業界の間では有名な人物だとしても。
 駆け落ちするのも手よね、とオペラが誘惑を微笑んでも、エルネストは悟ってしまう。オペラが家を捨てることができないことを。親しい相手を障害と呼び、相手に認めさせず逃げ惑うことを選び、隠れて愛を囁くのは嫌だということを。 
 その通り。堂々と結ばれたいのだ。
 異邦の地の代物で口約束をされるより、正式にこの星のルールに則って。
 この愛に反対するすべてを、ひれ伏せてやりたいのだ。
「でも指輪って感じでもないわね。ペンダントにでもしようかしら」
「それはいい」
 いずれ本物を贈られるのだから、代わりの指輪はいらない。


 それから、また少し年月が経ってからのこと。
「ちょっとこの鎖。ああもう、なによ!」
 ぶつくさと三つの瞳で細かい鎖目を凝視する。爪で金の鎖をいじるが、容赦のない絡みは解けそうにない。垂れ下がった青い石が、首を吊られたようにくるくると揺れていた。
 ここは見渡すばかりの、砂に埋もれた未開惑星。鎖は汚れた粒を吸い、少し外している隙に風に乱された。細い滝のように滑らかだった金色の糸が、酷い有様だ。
 オペラ自身、指先は器用な方だ。冷静になればこれも解けるのだろうが、なかなか取れない苛立ちがそれを邪魔する。いっそのこと、鎖を切って取り替えてしまおうか。どうせ、鎖部分は自前でつけたものだ。とはいえあれから嬉しくて毎日つけていたから、まとめて愛着はあるから安易な解決法は躊躇する。
 それにまず第一。愛のしるしに繋がる糸を断ち切るなんて、恋する乙女にできるはずもない。
「おいオペラ、まだほどけないのか?」
「なによ。エルもやってみない、この知恵の輪。頭にくるわよ」
 夕暮れの空が広がる遠くから声を掛けられ、言葉を返せば肩を竦める人影。分かっていた答えだ。お互い、こういう非建設的な作業を好んでやる気質はない。やらせようという気もない。
「ペンダントは置いて、来いよ」
「わかったわよ」
 仕方がない、と立ち上がる。藻屑型の鎖はジャケットにしまい、愛用のコスモライフルを担ぎ、エルネストの元に向かう。
 なにやら大仰な箱の前で思案をしていたようだ。嫌な予感がしつつのぞきこむと、そこには変わった形の石板。
「ここに妙に細かいパーツが揃った、ボードがあるんだが……」
「……またパズル?」
 ここでため息が出てしまっても、責める人間はいないだろう。
 添えられた文字は翻訳機でも解読が容易い、『ほどけば開く』と謎の欠片もヒントも素っ気もない。
「この惑星の支配種は手先が大ぶりだからな。こういう繊細な仕掛けは解けなかったんだろう」
「五本指の種族でも、これは一苦労よ。どこの誰よこれ作ったのは」
「外来種の関わった可能性はあるな。癖が似ている。あの惑星ではもう時効だろうが……」
「自分達のためだけに隠しておくくらいなら、置いていかなければいいのに」
 部品を弄り続けていると、法則性が分かってくる。解法がつかめたのなら、あと少しで開くだろう。絡んだネックレスよりも簡単な仕掛けだ。
「ここに置いて行ってくれたからこそ、滅ばず残っていてくれたのだけれどな」
「あら。あそこって滅亡したの?」
「数分前に届いたニュースで出ていた。あそこも……時間の問題だったからな」
 未開の地では情報の伝達に時間差が生まれるから、実際に滅んだのは数週間前だろう。民衆が狂っていたうえ、特にお酒の美味い土地でもなかったから、感情は薄い。エルネストの方は、あの地の遺跡たちを思い起こしているのか、幾分か残念そうではある。
「私達の星も時間の問題よねぇ。歴史に反省もできない文明なんだから」
「ま、ベクトラ一家はがんばってくれよ」
「そうね。私たちの子孫が死ぬまでは残しておく程度に、がんばってみるわ……これで、完成っと」
 途端、歯車の擦れるような音とともに、重力が狂った。消えた。
 砂が下へと流れる音が一気に鼓膜を打ち付け、足元から地面がなくなったことを悟る。
 暗闇に落ちる前に、エルネストが腰の鞭を上空へと投げるのが見えた。彼のコートに手を伸ばしたとき、ジャケットから小さな塊が零れ落ちる気配を感じた。反射的にもう片方の手でおさえようとするが、脇にはさんだライフルを手放すわけにもいかなかった。金色は煌めきながら暗闇の虚空へと沈む姿のを、胸が痛むほど睨むしかなかった。
 しかし空から差し込む光の裾に、鞭はなんとか巻きついていたようだ。暗い宙にぶらりと、男女は釣り下がった。外からの白い光は、薄い。地面であった台が斜めの蓋となって覆い被さり影となり、内部を濃い黒色に染めていた。苔だろうか、奇妙な嫌な臭いもする。
「あぁ……もう」
「開くというのが、箱のこととは書いていなかったな」
 エルネストは、オペラを視線だけで気遣ってからコートからジッポライターを取り出し、周囲を灯す。しかし周囲どこも壁は遠いようで、腕を伸ばしても淡い火では殆ど何も見えなかった。落としたペンダントの着地した気配も感じない。砂が流れ込んだ結果、柔らかな地面がすぐ傍にある可能性も大いにあるが、試してみるには無謀だろう。
「大丈夫そうなら、弱いのを撃ってみるけれど」
「それはいい案だが、駄目だな。ぎりぎりだ」
 ロープになった鞭は、エルネストのアレンジで従来のものよりずっと丈夫な代物で、こうして二人分を支えることくらいなら余裕だが、支えの元になった場所が不安定すぎる。ここでライフルの射撃で距離を確かめたりしたら、反動でどうなるかわからない。
「ひとまずは登ろう。降りるにしても準備がいる」
「待って。今ので私ったら、ペンダントを落としちゃったのよ。ほら、青い石の」
「ああ、あれか」
 探すために降りなけければならない。
「諦めた方がいいかもしれないな」
 なのに、彼は平然と言う。
「え?」
「諦めろ。地面が近いとしても、この暗闇で砂に埋もれた小物を探すには難しい。欲しければ、また」
「……分かってるわよ!」
 諭してくる言葉を、癇癪で打ち切らせてしまった。その恥か、怒りか、顔が赤く染まり、涙腺が苛立つ。
 それがもし、考古学に関するものならば、彼は必死になって探すだろう。
 あれはもう、女の胸元を飾るただの石でしかない。たとえ、その女が恋人で、結婚の誓いの意味が込められていたとしても、関係ないのだ。欲しければ、また別のものを手に入れればいい。愛のあかしは形ではないから。
 だから、ただの私物を取り戻す為に降りるのは、この状況では危険で困難で無意味。状況判断は正しい。冷静でクールな彼は、ときに冷徹で冷やかにもなる。
 しかしもし、世界の歴史に関わったものだったならば、彼は必死になって探すのだろう。
 推測しやすい想像は、ペンダントになった石をなくしてしまったことよりも強く理解できて、悔しかった。
「アルコールが足りないわ」
 泣く代わりにつぶやく。
 なるべくヒステリックにならないよう、できれば、高飛車で馬鹿な子どもだと呆れられないように。
「オレもだ。どちらにしても一度、船に帰ろう。誰も来ないだろうが、穴にはステルスシートを張っておく」
「そうね……」
 ずるりずるりと、重い身体を引き上げてもらう。足元のない場所では、暗い場所では、情けない気持ちが過剰する。ここは宇宙のように自由でもない。
「いいわ。どうせあれは、鎖が絡まっていたもの。それに時代と風土が違いすぎるから、あれを発見したのちの考古学者を混乱させるのも一興よねぇ」
 楽しそうにオペラは言う。エルネストは言葉を返すでもなくただ、そうかと静かに相槌を打つ。
 涙型の青色を暗闇に置き去って、彼女たちは橙が染める砂地へと戻った。


 痛みを拭う薬のように酒を飲む。疲れているのか、酔いが回るのは妙に早く、ボトル二本目を空けたところで早々に脳が麻痺しているのを感じた。
 毒が蔓延るように、赤い口紅が醜い音を出す。いつからか文句をぶちまけていた。
 あの石はエルからもらったから大事だったのよ。
 少しでも探すそぶりをしてもいいんじゃないの。
 彼の前では、理想の女でありたいと努めても、何かのきっかけで零れ落ちる幼稚さ。二日酔いの中で後悔することは何度もあった。愚痴の入った酒など、なにが美味しいのか。だが、文句を叫ぶことの気持ちよさも事実として存在していた。
 エルネストが黙って杯を傾ける姿は、聞いているかどうかも分からない。それでも、言葉は続いた。
 こんなふうに家ではしない。外でもしない。泣き喚くことも怒鳴ることも、一度も知らない女のふりをしている。
 これはただ唯一、この人の傍でしかしない、ワガママな姿。
 宇宙の隅っこで二人きりになったとき、ようやくできるこの姿は、醜く幼く、そして自由だった。
 そんなオペラの横で、彼は悠然としていた。ため息もフォローの言葉もどちらもなく、飴色の酒を楽しんでいた。こちらに執着がないだけかもしれない。落ち着いた態度であることも、そんな想像で憤りを呼ぶ。本当は、嫌われることが何よりも一番怖いことなのに、恐怖も麻痺していた。
 でも、知っている。女を一時あやすような口先だけで、愛を語らない人だからこそ好きなのだ。花や宝石を贈れば靡くと、女を決めつけないからこそ愛しているのだ。そして、熱く燃える心が見える限り、嫌いになることなどありえないことを。
「なぁオペラ。先人たちはいつも、大事なものは秘蔵して残すものだ」
「私が生きている間で充分よ、大事だからいつも傍に置いておきたいのよ!」
「ついでに言うが、ヒールで砂地を歩くのは変わり者だな」
「行き帰りで二回しか埋まってないし、自力で脱出したわよ!」
「ひらひらしたドレスも、こんなところでは踊りにくいぞ」
「このまま家から飛び出したのよ! あなたに会うために!」
「知っているさ。オペラはいつもそうだ」
 静かに肩を抱かれて、胸が痛くなる。
 指の温もりも、腕の力強さも、それらの愛しさすべてが、自分のものになったような感覚に安堵してしまう。そんな自分自身が、あまりにも弱くて嫌になるのに、逆らえない。
 このまま肌を重ねれば、きっと許してしまうのだろう。エルネストが親身になってくれないことではない。相手への怒りを収めるだけでは済まない。自分の弱さを、許してしまうのだろう。
 だから。
「私、行ってくるわ」
 肩を離し、彼の顔をまっすぐに見る。
 突然だったのに驚くでもなく、ああそうだろうなぁ、とそこには納得の面持ちがあった。見抜かれていることにやや気分を良くし、オペラはにっと唇をひいて笑った。それは美しい赤色のライン。
「あなたの想いが込められたものを暗闇に置いてくるなんて、正気の沙汰じゃないもの」
「それでこそオペラ・ベクトラだ」
 年相応の皺が魅力的な笑顔は、我がままなオペラ・ベクトラを好きだと雄弁に語っていた。
 だが、今は酒も入っているし、ひとつ眠ってからと提案もされる。スカートをひるがえし立ち上がったところで出鼻をくじかれた気もしたが、そろそろ外の気温も急激に低下しはじめる時間帯だ。短い周期で気温が変化し続けるこの惑星では、数時間後の方が無難ではある。
 ならば、肩を離す必要もない。文句を言われたドレスも、ヒールも、今は必要がないのだから、脱ぎ去ろう。
 そして、これだけは譲れない。大事なものとは何よりも傍にありたいこと。
 熱のある生き物達は、その芯を愉悦に燃やした。


 気だるい寝ざめにオペラの衛星通信機に連絡が入った。
 妹のオパールからの、音声通信。映像までは届かないのだろう。下着の紐に肢体を通しつつ、そういえばあなた一昨日は誕生日だったわねと聞き流していると、爆弾騒ぎがあったと突拍子もないことを言いだす。命を狙われるなんて一端のお嬢様ね、と返せば嬉しそうだった。変な妹だ。それも犯人も捕まり、無事だったからこそのことだろうが。
 きゃぴついた甲高い声による自慢話に終始していたが、姉だというのに誕生日を祝わずパーティを無断欠席した罪滅ぼしと思い、通話状態で適当に相槌を打ちながら携帯食を取る。欠席の言い訳はオパールがしてくれたに違いない。何か食べてるでしょと言われたが、羊の肉よとこれまた適当に流す。ここで携帯食なんて正直に言えば物珍しさから羨ましがられて、話が長くなるだけだ。お嬢様暮らしが大好きな性格の癖に、変な妹だ。
 食べ終わって銀色のシートを小さく纏めているとき、ようやくエルの気配が船内にないことを気づく。オパールはまだ何か喋っていたが、どうせプレゼントの開封しながら実況を喚くだけで、特に意味はない。変な妹だ、聞いているかどうかわからない相手に喋り続けるだなんて。
「悪いけどオパール。私にも用があるの。帰ったら聞くわ」
 悲鳴に近い不満げな声が聞こえたが、無視して通話を遮断する。
 改めて見回してみても、エルはいない。オパールとの近くにいるときは絡まれないようにいつも身を隠しているにしても、こんな小型の船における生活範囲は狭いから、目の届く範囲にコートが見えてもおかしくはないのに。
 機械のトラブルだとしたら、得意分野からして自分を起こすはずだ。彼の助手としての同行は、メカニックとライフルの腕を買われたのが始まりなのだから。一応エンジンルームものぞくが、いない。
 外は、とっくに過ごしやすい気温の時間帯なようだ。窓に顔をのぞかせると、また通信機から連絡が入る。どうせオパールだ。さっきの話の続きをするため、即座につなぎ直したのだろう。
 取らないまま癇に障るアラームを放置し、外に出るためにベッドの脇に落ちていた服を取る。まずはペンダントをかけようとして、ないことを思い出し寂しさを覚えた。そしてふと過ぎる。
「……もしかして、エルったら一人で取りに行った?」
 独りよがりな予感ではあったが、ありそうな話でもあった。
 ならば自分も起こして一緒に行ってくれた方が嬉しいのに、と少し膨れてエルとの専用無線機を取ると、うるさかった方の通信機の音が止んだ。横目で確認をしてみると、相手が妹でなかったことに今更気が付く。先程のは馬鹿な考えだった。
 エルネスト。
「え。……なによそれ」
 記録の表示に息をのむ。エルネストなら、この専用の無線から通信を入れるはず。これは、この星にいる同士で識別番号を認識させないと通話はできないが、範囲が狭いために傍受もされにくい。逆に言えば同じ地表にいる筈の現在、こちらのフリーな衛星通話の機器に回線を繋ぐのは無意味だ。惑星を離れている相手同士のための技術であり、同星同士では使えない手段だ。
 つまり彼は今、この惑星の外にいる。
 すぐに掛け直すと、少しのラグがあってから相手は出た。確かにエルネストだ。
「ああ、おはよう。オパール嬢から話は聞いたか?」
「は? あの子何か言ってた? 通話は来たけれど、ろくな話じゃなかったわ」
「……。それはすまなかったな、伝言を頼んだつもりだったが……」
「オパールがまともに伝言できるわけないでしょ。ねえ、今どこにいるのよ」
「テトラジェネスの第一惑星に向かう途中だ。オパール嬢の誕生祝に、爆弾を贈った奴がいたらしい」
「それは聞いたわよ。それでどうしてエルがそっちに向かっているのよ!」
「その爆弾魔がオレの生徒で、オレから爆弾の作り方を教わったと言っているからだよ」
「はあ?」
 先に言ってほしかった。となれば、隣にいるのは警察かそれに準ずる機関。通話は記録されているだろう。不用意なことを洩らさなかったか思い直すが、おそらく大丈夫だろう。こうして通話が許されたのも、ベクトラ嬢からのものだからこそ。
 まずこの状況自体も、金を積めば釈放されるだろう。容疑者ではない、参考人として連行されているだけだ。
「先生が連行されている間に、私は寝てたわけ?」
 エルへの呼称だけは、世間通りに直す。男女の仲だと知られ、面白いことになるのは今ではない。
「船から離れて、外の空気を吸っている間だったからな」
「こっちはベクトラ籍の船だから、調査されなかったってこと?」
「そうだな。オレが同乗していることは港で記録されていたから、ここまでのお出迎えが早かったらしい」
 そしてステルスシートだ。あの遺跡に貼っておいた目隠しのシートの登録証から、船の場所も簡単に割れたのだろう。テトラジェネス以下の文明には目隠しができる代わり、犯罪防止のため母国へは使用が筒抜けとなる。元々あれは、未開惑星保護条約を守るために開発されたもの。無論、犯罪に使う人間もいるが、それはどんな道具でも同じことだ。
「爆弾ってどのくらいの規模だったの? 被害者は?」
「大した規模ではないらしいが……、いや、ベクトラ家にそんな野蛮なものを侵入させた時点で、一人も怪我がないとしても重罪だな。その生徒がな」
 口ぶりは横の警察の睨みに合わせたのだろう。どうやら騒ぐほどのものではないようだが、相手が悪い。天下のベクトラ家には、長女のオペラ自身でさえ抗うことのできない面がある。
「とはいえ家財は幾らか被害があるらしい」
「そう」
 パーティが催されている最中のあの人数で、よくそこまで被害が抑えられたものだ。優秀な使用人たちのお陰だろう。おそらく、使用人たちは傷を負っている。家財という言葉に隠された重みに、言葉を失くす。だが、通話でのオパールの明るい様子からすると、全員軽傷で済んでいるに違いない。
「大丈夫か」
「何の話? それで、いつここに戻ってくるの?」
「……いや、そこに帰ることはできないようだ」
「そうね。家が絡んだ事情なら、私の権限で釈放させることはできないでしょうね。分かったわ」
「オレが悪いわけじゃないが、すまんな」
「早く無罪を証明してきて。私はすこし寄ってから、帰るわ」
 石か、と小さな呟きが聞こえる。
 そこで話を打ち切るように、警察へと通話が受け渡された。
 大学で教えを受けた考古学者の助手をしていたこと、ベクトラ家としてパトロンをしていること、船を貸していること。エルネストの証言との食い違いを改めているのだろう。二人の世間に対する関係は、既に綿密な打ち合わせをしてある。何一つ違うこともなく淀みもないこちらの言いぶりに、電話先の警察はいささか不満そうであり、少し可笑しかった。
 そして、どこかに寄ることはご遠慮願いたい、と平身低頭に申し入れをされる。
 外には既に護衛の警察たちが、オペラの帰還を誘導するために待機しているらしい。
 その人たちを石の探索に使うという手もあるが、無闇に触れられるのも悔しい。
「貴重な歴史を取り戻す為よ」
 そうだ。人生を歴史と呼ぶのなら、愛の囁きは貴重な代物。嘘ではない。
 しかし、考古学に疎い警察はその言葉に心を震わせることもなく、公的機関が心を震わされて戸惑うようでも困るが、ともかく、一辺倒に帰還を願ってきた。
 確かにオパールや家族、使用人たちが心配ではないとは言い難い。
 仕方なしに納得のそぶりを見せて、通話を切る。家の名誉のためには、帰るしかない。
 外を確認してみると、確かに小型船がいた。挨拶だけして遺跡を確認しにいったところ、シートは外されていた。周囲の砂は減っていたが穴は戻っていたため、もう隠す必要もないからだろう。誰かが触ったわけでもないようで、気温変化などによるの仕掛けかもしれない。あとは、オペラたちテトラジェネスが帰ればこの星は今までどおりになる。
 青い涙が暗闇にいることは、他の誰もしらないままに。
 船を起動させて空へ飛び上がる際に、窓から砂地を俯瞰する。あの遺跡が小さく見えたが、後ろから追尾してくる小型船が視界を遮ってうっとうしい。この地には、またすぐに戻ってくる予定だ。
 だけど本当に、のちの考古学者が驚くハメになるんじゃないかしら、と皮肉を思った。


 エルネストはすぐに釈放された。
 功績と信頼のある有名な教授という地位が功を奏したのだろう。実際に教唆した証拠も事実もなく、爆弾犯の生徒は、ベクトラ家と親しい教授への嫉妬で名を出しただけ、という結果に収まる。両親はあまりいい顔をしなかったが、レヴィード教授はベクトラ家と強く繋がっていることが、世間のプラスイメージとして根付くこととなった。
 とはいえ悪い噂もあり、姉が妹を殺そうとしたが失敗して、巻き込まれた恋人には保釈金を出して学生を金で身代わりにした、などもある。根も葉もない噂だが、『恋人』という唯一真実を突いた単語だけは、親の耳を妙に苛立たせた。
 エルネスト本人も幾らか不快な目に遭ったらしく、オペラは憤りを隠せなかった。
「宙出を禁止されたから怒っているんじゃないのか?」
「それもあるけど、それだけなわけないでしょ」
 オパールの誕生日に『男性と二人きりでいた』というオペラの事実は、あくまで勉学の為という線までは持って行けたが、それでも疑われていたために謹慎を受けるはめになった。つまり、あれからまだあの惑星に再び訪れてはいない。
 エルネストもそうだろう。また名は売れたが、仕事の邪魔は善意も悪意も揃って、数か月経った未だに続いている。
 彼一人ならば探査にも行けるようだが、また一緒に行けるのは、いつになることか。
 通話さえ健全に繋がらないため、彼女たちは大学の研究室で話をしていた。傍に他にも数人いるが、全員が信頼のおけるオペラの友人だ。しかし、恋人同士だと教えたわけではないため、密接な距離にいるわけにもいかず、机を挟んだ教師と元生徒というふりをしている。
 それもそれで秘密の恋でおもしろいと思える余裕が普段はあるが、今はわずらわしい。
「世間はすぐ飽きてくれるがな、親はそうもいかない。それがありがたくもある」
「はいはいお父様お母様はわたしを心配してくださってその愛に本当に感謝しております」
 棒読みの台詞に、腹がひきつったようだ。エルネストは笑いをかみ殺し、小刻みに揺れていた。彼の両親は息子の仕事に関心がないどころか下賤の職として見ており、二十代半ばに勘当してもらったらしい。家と離れる決断ができることは羨ましく思うが、後悔はしていないと言う割に、エルネストはオペラには決して縁切りを薦めない。
「はははは、そうだな。じゃあ、誕生日の準備も頑張れよ」
 来月のオペラのバースディパーティ。各所へ手紙を回したり、舞台装置の設計をしたり、料理や催し物の采配を組んだりと、準備は着々と進んでいる。
 そしてすぐあとには、エルネストの誕生日も間近だ。連続でお互い祝えたら、素晴らしい一年の幕開けだ。
「あの騒動があったでしょう。お詫びだのなんだので、今回は招待できるかもしれないわ。そうしたら資金の増額も」
「ああ。そうか、言っていなかったか」
 隣で聞いていた友人が、言いにくそうなエルネストの代わりに、無邪気に説明をしてくれる。
 来月からレヴィード教授は、大学の主催する考古学ツアーにメインコンダクターとして出張することになっている、と。担当するのは上級者向けの少し刺激的なコースで、二ヶ月前後の旅だ、と。初耳だ。
「なにそれ」
「張り紙に書いてあるだろ」
 指さす先の壁にはそのような主旨のポスターが貼ってあるようだが、見る気もしない。刺激的なものに弱い国民性もあるにしろ、エルネストの名前によってさらに人気が高騰し、募集初日で定員が満員御礼だったらしい。
「行く気なの?」
「名前が急に売れるってのは、こういう厄介さもあるんだ。わかるだろ?」
 わかりすぎて嫌になる話だ。一刻も早く結婚でもしないとこれは話にならないわね、とオペラは黙る。
 彼にしても、売れること自体は満更でもないし、ベクトラ家に招かれることは苦手ではありそうだが。
「でも、私やあなたの誕生日があるのに、このことを言わなかったのはどういうわけ?」
「とっくに知っていると思っていた。今回は珍しくベクトラ家が協賛しているからな」
「なるほど、家が先に繋げることで逆に引き離せるってわけね……」
「今まで問い詰めなかったのは、納得したわけじゃなったからか」
「当たり前でしょ」
 棘をつけて言い返す。そこで友人たちが、オペラって教授のこと好きだよね、とからかいに来る。そりゃそうでしょ、と堂々と返しても許されるくらいには、エルネスト・レヴィードは世間的にも魅力のある男だ。
 親はいつそれを理解するのか。待つだけでは解決しないにしても、一体どのような方法があるのだろうか。

::

 そして、誕生日パーティは終わったこのとき。
 胸元の寂しさを埋めるには、彼がいなければならないことは明らかな手段だった。
 ボトルを一本終わらせて、二本目に差し掛かる。どれもなかなか良い代物ばかり。しかしさすがに酔うにはまだ足りない。徹夜の疲れで眠気はあるが、頭は曇ったままだ。どこかに連れて行かれそうなほどに酔うのも悪くない、とグラスをまた傾けた。
 部屋をノックされる。
 声をかけてきたのは、どうやら執事のアルフレッドのようだ。髪や服装は乱れているが、男の彼は当然教育係ではないから小言は控えるだろう。温い返事をすると、扉は開かれた。
 白手袋で覆われた手には、銀色の小柄なトレイに薄汚れた紙を載せていた。麻紐で括られた羊皮紙の包みは、中央が少しだけ膨らんでいるもの。不釣り合いな光景。
 お嬢様への贈り物がもうひとつございました、と畏まって告げたとき、オペラはすべて察した。
「ご苦労さま」
 受け取ったら、アルフレッドはすぐに一礼して退室した。殆ど見てはいなかったが、彼は微笑んでいたかもしれない。すぐさまソファに戻ると、グラスを蹴倒したようだが、気にする心境ではなかった。
 こんな汚く見栄えのしないプレゼントが、華やかな要人のものであるはずがない。これは、本来ならば今日届く筈がないものだ。
 ほらみなさい。目立たないよう、レヴィードと小さく記されていた。
 アルフレッドは割合、オペラを理解してくれる面がある。先日の騒動でこちらの事情を推察したのだろう。雇い主である父親の不利益になることは決してしないが、それ以外の範囲ならば、影ながら支援をしてくれる。
 まず何より、隠してはいるが、レヴィード教授のファンなのだあの人は。
 急いで紐をほどくと、やっぱり、と喜びの溜息がほうと漏れた。
 青い石。
 あの青い石だ。
 独特の輝きが、傷一つなく、金色の鎖の先で揺れていた。
 絡まってしまったはずの鎖は、きれいに解かれている。
 この涙色の青は、暗闇の砂に沈んでなどいなかったのだ。あの人の手元で、滑らかな金色は解かれて、輝いていたのだ。
 手に絡めて、鎖の冷たい感触を久しぶりに味わう。
 紙の内側を確かめると、癖のあるペンで記された異星語が一行だけ。
 『青い石を君に』
「中身までチェックされるわけじゃないんだから、はっきり書いてよ」
 現地の言葉の意味は『愛し合って暮らそう』だなんて、他のテトラジェネスがわかる筈もない。
 それでも胸をくすぐる微笑みがあふれる。
 金色の睫毛を軽く伏せて、優しく強い輝きに見惚れる。
 青色のときめきは、エルネストと旅した宇宙を吸い込んだように美しかった。
 ひとりで旅をしているわけじゃなかったのかもしれない。
 そのまま首にかけようとするが、ふとその手をオペラは止めて、爪先で青い石を撥ねた。
「ごめんねアルフレッド」
 独り言で謝っても届くことはないが、直接言っても止められるだけだ。
 オペラはペンダントを丁寧に包み紙に戻し、立ち上がった。


 熱帯気候の土地だった。肉厚の植物が繁り、鳥や虫の音が騒がしい。
 見かけはともかく実際に狂暴な生物はいないようで、ライフルの出番はなかったが、だからこそこの星なのだろう。
 彼に再会したとき、胸元にペンダントがないことを最初は驚かれた。しかし、包み紙を見せると得心がいったように、首にペンダントをかけてくれた。己の豊かな金髪がエルネストの手をくすぐる姿は、こちらにまで快感を覚えさせる。
「ツアーには遅刻だな」
「あなたの連絡ほどじゃないわ」
 冗談交じりに言い合うのは、やはり心地良い。
 彼女は、その夜のうちにこっそりと自宅の船を飛ばしていた。ツアーの日程表は協賛だけあって、家の中で見つけた。近場をルートにしてあるようで、たった三日で辿り着く。
 この家出は、最後に顔を見たアルフレッドに嫌疑がかかるかもしれないが、あれだけ周囲からの信頼を不動のものにした執事が、どうにかなることもないだろう。彼のことだ、すべてを踏まえて小包を渡してくれた。
 そして結論は、オペラのいつもの高飛車な我儘だと、周囲は言うだろう。それでいい。
 会いたいなら、会いに行けばいい。
 あなたがいなくてつまらないのなら、あなたがいる面白い場所に行けばいい。単純な話だ。
 待つ女ではいられない。追いかけていないと心がしおれるのだから、ソファに腰かけてなどいられない。
 数十年の命のヒトに、うずくまる時間など殆どないのだ。なにしろもうすぐ恋人の誕生日なのだから。
「誕生日おめでとうオペラ。贈り物は気に入ったか?」
「ありがとう。とっても」
 今は胸元にある青い石を指で撫でる。二人でいるときには、一層明るく見える気がした。乙女チックな妄想ね、と幸せに笑う。ツアー客たちはいきなり現れたライフル持ちの美女に茫然としていたようだが、堂々とした美男美女のお似合いカップルなんて稀有で有りがちなものは、いつだって祝福されるものだ。
「でも、よく見つけたわね。いつ見つけたのよ」
「考古学者は、探し物が得意なものだ」
 昨日もちょっとしたものを見つけた、と嬉しそうな皺を見せる。あとで資料を見せてくれることだろう。
「あら。これは歴史のものでもないのに?」
「歴史のもの、なんだろ」
 きれいなウインク。
「それは、貴重な歴史の詰まった一品だと君が言ったからな」
 彼が警察に連行されるときの、こちらの一言を引用される。どうやら彼も聞いていたようだ。
「歴史と言われて、見過ごすわけにはいかない」
 なんて、歴史という言葉に弱い男なのだろう。
 そのくせ、ベクトラ家の血筋や家系では短すぎるのだ。たった数百年では、彼をときめかせない。しかし、たった二十年しか生きていない己の、たった数年ほどのものを歴史と呼んでくれる。
 これからも続くものと、将来に残りうるものと、認めてくれる。
 まるで過去を求めるように、必死になって探してくれたのだろう。歴史として、未来として。愛として。
「ありがとう、エル」
「お安い御用さ」
 キスを交わす。
 彼女たちがキスをするのは、歴史に残らない、刹那の事柄。それでも求めて、愛し合う。
 歴史なんてものは、あやふやで残酷で、正直で嘘つきで、純粋でハッキリしている。消えたものがあまりに多すぎるし、辛うじて残ったものでさえ不確かだ。だが僅かに残るたった一滴が、一縷が、過去を呼び覚ますことに感じ入る。
 その瞬間、胸の奥が広がるのだ。人は宇宙の紐を携えて、時を超える。
 たとえばこの青い石が、未来に残るかもしれない。
 そして、人は何を考えるのだろう。この石の始まりのように、宗教に使われた、とされるかもしれない。思いもしない大きな勘違いで、過去の人間を笑わせてくれるかもしれない。
 それでもいつか、愛を語ったという説が出るのならば、楽しみな話だ。
 『青い石を君に』なんて言葉も、わかれば素敵、わからなければ彼女たちの秘密になるだけ。
 愛しい心はいつも、石のように強靭で、炎のように青い。



2012年8月、オペラバースディ
inserted by FC2 system