たった『数日』だったはずだ。
 エル大陸から帰還し、この前線基地に来たレナたちは、随分と逞しく見えた。
 まるで数か月もの激戦を繰り広げてきたかのような『錯覚』さえあった。
 昼にクロードと手合わせをしたところ、驚くしかないほどに腕を上げており、愕然とした。
 この基地を拠点に、自らもなかなかの戦績を上げていたはずなのだが、成長の速度があまりにも違う。
 レナにしても、幼い時どころか以前のときよりも強い力を奮い、基地の重症者たちを癒してしまった。
 幾人かは次の大怪我を怯えて故郷に帰ったため、動ける人員はさして変わらないが、圧倒的なその力に基地は幾らかの活気を取り戻していた。
 不思議なものだ。『数日』の間に、一体何があったのか。
 尋ねれば歯に物が挟まったような説明をされたが、成程、と首肯するしかないほど、よく分からなかった。
 この星が一度崩壊した? 何を言っているのか。本人たちもよく分かっていないのかもしれない。
 確かめるように、今日の日付を尋ねてきたのだから。戻っている、と聞き間違えでなければそう呟いていた。
 ただひとつわかったのは、なにか悲しいものを見てきたような色を、瞳に映していた。

 夜の見張りは、肌寒い季節。滝の近くで星空を眺めていると、レナが傍にやってきた。
 先程まで、看護婦と何か話していたようだったが、終わったのだろうか。
「良いお薬を分けてあげたの。便利な私がここにいても、ただ皆が酷使されてしまうだけだから」
 成長した言葉。
 戦う旅を進んできた娘が、村で暮らすように純粋なままであるはずはない。
 それでも、そんな経験をしてしまったのだな、と勝手ながらも寂しく思った。素直に喜ぶことはできなかった。
 己よりずっと上の世界に行ってしまったような寂しさ。見た目の通りに、か細い腕や背だと、甘やかすわけにはいかなくなる。
 それでいい、と心の中で言葉にする。それでいい。たとえ実感でなくとも、妹の成長を喜ぶべきことだろう。
 夜風にぶるり、と身を震わせたるのが見えたから、マントを羽織らせる。
 そのくらいならば、『兄』として許されるだろう。
 臭うだろうか。洗ったばかりだが、染み着いたものは容易く落ちない。
 戦いの悪臭を浴びたマントは、以前までなら『妹』を汚す気さえしていたが、今ならば、許される気がした。
 レナは髪を揺らして、くん、と臭いを嗅ぐ。
 そして何か納得いったように、瞳を伏せた。
「ありがとう。あったかいわ」
 ほっとする声。
「……ディアスも一緒だったら、よかったな」
 今更の願い、というよりもそれは独り言だった。何を思ったのだろうか。
 以前までならば、手に取るように分かった彼女の考えが、指が届かぬ遥かに遠ざかっていることを感じた。
 こんなふうに、自身も彼女から遠ざかっていたのかもしれない。いや、これよりも酷い形で。拒絶をしていたのだろう。
 するとレナは胸元をほどき、羽織らせたマントの裏から何か引っ張り出す。
 取り出したマントの茶色の帯が、肩を覆うよう首にかけられた。
「寒いでしょ。私のマント、代わりに使って」
 すこし悪戯っぽい微笑みも、大人びて見えた。
 それでも小さなマントのぬくもりは、穏やかで優しかった。
 レナの体温、匂いが、寄り添っている。
 ああそうだ。昔から、寒いだろうと毛布を貸したら、寒いでしょとぬいぐるみを渡すような奴だった。
 匂いはいつも、昔のことを喚起させる。ぬいぐるみの匂いは、いつもそれを抱えたレナの匂いだった。
 ただそれだけの瞬間、すべてが落ち着いたことに気づく。
 ついさっきまで、ひどく焦っていた事実に気づく。
 レナは変わらない。ただ、大人になっているだけだ。
 俺の知らない経験をして、俺の知らない場所に行った。それは当たり前のことだ。
 誰しも同じ筈なのに、小さいと思っていた娘には、どこかで『あの頃』を縋るのかもしれない。
 あの頃を捨てていたのは、自分の方なのに。
 それでも、レナたちと一緒に行かなかったことは、後悔していない。
 俺は俺なりに、生きていたのだから。
 己に言い聞かせるわけではなく、実感として、この匂いは過去のレナから今のレナへと、導いてくれた。
 身体の中が軋むほどに心地良い。
 しかしこの胸の痛みが苦笑になるのは、『兄』だからなのか、はたまたあの金髪のせいだからなのか。
 そのことも、またいずれ、ふと分かる気がした。


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