永遠ジンクス




『だれもいないラクール闘技場で、手を繋いで一周できたら、その二人は永遠に一緒』
 恋のおまじないを、信じるつもりはなかった。
 この恋を、恋なんかにするつもり、なかった。


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 エルリア大陸へ、長期の復興を見据えた渡航の許可を、ラクール王から賜った帰りだった。
 資金や物資の援助の話もまとまり、ようやく明日の昼には出発できるだろう。
 明日、いやもう今日か。長い相談の果て、明け方に手を伸ばす夜空が二人を見下ろしている。
 エルリアの魔物の強さ、剣の腕、そうしてクロードが準優勝した武具大会の話題となる。
 しばらくラクール大陸に戻れないこともあり、二人は、熱戦の跡地へ自然と足が向かっていた。
 ラクール城の西、闘技場。
 何か月も前に武具大会が終わってしまった今は、ずいぶんと閑散としている。
 あの日の熱気は、いや、あの日だけでなく何年も積み重なり、灰色の煉瓦たちが覚えているのだろう。わずかに高揚した。
 客席は薄暗い程だが、中央へ天然の照明、空の光が差し込む。観客席に囲まれた、あの中央でクロードは闘った。
 すっかり砂地は整えられ、幻が降り立つ美しい舞台のようにも錯覚できた。
 見張りの兵士たちは、援助の準備で駆り出されているせいか、今は見当たらない。
 静かな、闘技場。
「だれもいないんだな」
 ボーマンの、つぶやきでしかない声がよく響く。
 だれもいないラクール闘技場。
 クロードはふと、思い出してしまった。
 一度思い出してしまうと、なかなか頭から離れてくれない。二人きりの今。
 手。
 クロードの視線がうつむき、ボーマンの手へと惹かれる。心が惹かれる。
 薬草の匂いがする、爪の四角い指。肉付きもある筋張った甲。日に焼けて、大人びた皺。
 この空間に圧倒されていたような沈黙のあと、クロードは口を開いた。
「だれもいませんね」
 さきほどのボーマンのつぶやきの、答えであり、応えですらなかった。あまりに遅すぎる鸚鵡返し。
 それでもボーマンは、口の端を緩ませる。
「デートのシメにはぴったりだな。……ははん、なるほどなぁ」
 ひとりで納得した様子で、ぐるりと首を回して天井を見ていた。
 まさかこれがデートだと思っているわけはないだろうが、その単語はクロードを激しく動揺させていた。
 落ち着け、と左胸の上を掌で覆う。視界に熱が集まってくる。
 滅多にないチャンスだ。
「ここで、……誰もいないときに一周すると良いことが、って話があるらしいですね」
 おそるおそる口にすると、ボーマンは、お、と指をぱちんと跳ねさせた。
「クロードも知ってるのか。俺も今、それ思い出してよ」
 言いながら、ボーマンはクロードに背を向け、円周に沿って歩き出した。ゆっくりと、大股で。
「良いことかぁ。俺が聞いた話は、もうちょっと違うかな」
 頭の後ろで指を組んでいるのが、まるで見せびらかすように思えた。やらない餌を、ひらひらと目の前で振る意地悪な人。
 滅多にないチャンス? 手をつなげるようになってから、思えよ。
 自嘲しながらクロードは、ボーマンの後を追う。
「やったことあるぜ」
 心臓が煉瓦になり、ハンマーで打ちつけられた。
 比喩だ。一部分が粉々に壊れただけで、全身のバランスを崩すような感覚は、幻だ。
 膝が頼りなくなり、目の前が真っ白になりそうなのも。
「へ、え……そうですか。それは、成功して」
 知っていて、ラクールに来て、愛し合う人がいて、試していないはずがない。きっと。
 彼は『永遠』になっている。
 愕然と立ち尽くし、歴然と軋む胸を堪えると、歩き進みながらのボーマンはこともなげに続けた。
「後輩カップルがな。あいつらは成功したみたいだな」
「なんだ」
 ハンマーの二発目はなく、壊れた煉瓦は組み直される。歩きだせた。
「それで、えーと。効果、って言えばいいのかな。ありそうでしたか?」
「ひとまず、ずっと仲良しみたいだな」
 言いながらボーマンは頭から指をほどき、腕を左右に広げた。ちょうど目の前に、掌が下ろされる。
 生命線、運命線、という言葉が浮かぶ。なにかの占いだったか。運勢、運命。
 つかめるのだろうか。
「……ためしてみたい」
 僕らも。ボーマンの手から視線が逸らせないまま、言葉が洩れた。
 よこしまな気持ちを堰き止めるはずの理性は、クロードよりも先に眠ってしまったようだ。
 そんなことは独りじゃできない。『そんな』、手をつなぎたいのは、クロードの方だけだ。
 しかし、ボーマンが振り向いた顔は、意外とおもろがっていた。
 薄暗がりの中、目を細めて、にやにやと、あのむかつく顔。
「やってみるか?」
 あの、むかつくけれど好きな顔。

::

 クロードは、自分の震える手に驚いていた。耳がちぎれるかと思うほど、熱い。
 一体どんな顔になっているのか、ここに鏡がないことを安心し、ボーマンに見られていることが無性に恥ずかしかった。
 手が指先まで、心臓になったようだ。全身の血のめぐりは、ボーマンに触れたところから生まれるのではないか。
 ボーマンに教わった生物学を無視して、馬鹿な発想が浮かぶ。
 手袋越しに、ボーマンの冷えた手の温度が伝わる。火照った自身を再認識させられる。
 きっとボーマンはそれほど緊張していない。
 汗ばんでいることも気づかれてしまうだろうか、とつい指をそわつかせると、ボーマンが笑う。
「おいおい。くすぐったいだろ」
「あっ、すみません」
 ぎゅう、と反射的に強く手を握ると、何故かボーマンは声をたてて笑う。すぐに力を緩めた。
 しかしツボに入ったのか、ちょっ待て、と呼吸を挟みながら、腹を抱えられてしまった。
 静かな場所に、笑い声が響く。クロードはまるで自分が子ども扱いされた時のように、少しだけ唇を歪ませた。
 視線を映すと、ボーマンの奥側に見える太い柱。
 ちょうど、東を意味する『S』に似た装飾文字が、目線より高い位置に彫られている。スタートの『S』を連想させる。
 ここから、一周。
 一周したら。
 たった一周で。
 いや、ただのためしだ、やってみるだけだ。大きな期待なんか、するものじゃない。
 いや、でも、これがもしも叶うとしたら。
 いや、たったこれだけのことで、手に入るような簡単なものじゃない。
 気づけば、ボーマンは笑うのをやめており、ひとりで首を振ったりと気持ちを束ねきれないクロードを眺めていた。
「行きましょう」
 想いを見透かされているようで、恥ずかしさを誤魔化すために、ボーマンの手をひいてクロードは歩き出した。
 引かれるがままについてきてくれて、横に並ぶ。同じ高さの肩、顔。
 近い距離だけれど、触れているのは、片手だけ。
 手を繋いだのは、はじめてじゃない。
 戦いの後に身を起こされるとき、怪我の治療をするとき、行き手を引き止められるとき、集合時間に向かうとき。
 さまざまなそのたびに、あたたかさを感じていた。密かに心が躍った。
 だが、今のこれはそれらと大きく違う。今は手を繋ぐために、手を繋いでいる。
 冗談のような、現実。踊り狂って、疲れ果てる悪魔の術のように。
 手くらいで何を大げさな、と頭の隅っこでは呆れている。
 だけれど、頭のほとんどすべては、この絶大な快楽に天使を見ていた。ときめいていた。
 柱の影が、彼ら二人を覆う。青い夜空に包まれる。灰色の煉瓦が隠す。明け方の予感に囁かれる。
 誰もいない二人しかいない、この闘技場の円周。
 夜の鳥の、長鳴きが微かに鼓膜を震わせる。
 涼しげな風が通り抜けた。後押しをするように髪を撫で、わずかな現実感を思い出させる。そして、忘れさせる。
 手のぬくもりが伝わってくると、次第に手袋がわずらわしく思えた。
 たった一枚の合成素材が、彼と自身を『なにか』で隔てているようだった。
 言うなれば、故郷の地球製であるそれが、この地エクスペルとは相容れない異物のようだった。
 今更脱ぐわけにはいかない。もう、繋いでいる手を、離したくはない。やり直しは、できない。
 もう一度、なんて言えない。
 だからせめてクロードは、黙って、力強く握るしかなかった。安直な行為でも、それしか思いつかなかった。
 布さえ、皮膚さえ、通り抜けて、この指にざわめく鼓動を、彼の掌に聞いてほしかった。
「こーら。いてぇよ」
 ボーマンはぶん、と握ったままの手を大きく振る。振り子のように。
 嫌がっているわけではない。わかったから、わかってるから、大丈夫大丈夫、と。
 身勝手ながら、細い瞳がそう言っているように思えた。
「明日からも一緒なんだからよ」
 今生の別れみたいな顔をするな、と茶化す。
「そうですけれど」
 胸が詰まって、言葉が出ない。
 明日から、何日一緒にいられるだろう。三百日?千日? 永遠より、きっと短い時間。
 あの日、冒険は終わった。今は、それ以上長くいられるための、延長の猶予期間。いわゆるエンディングロール。
 ボーマンがエルリアに行くと告げたとき、クロードはどんな理由かも聞かず即座に、僕も行きますと叫んでいた。
 叫ぶに等しい、冷静な絶叫だった。
 そんなことを言い出すとは、思いもしていなかったのだろう。故郷に帰ると、思い込んでいたのだろう。
 クロード自身でさえ、そうだった。周回軌道の衛星が、迷いなく正しい道をたどるように。そうあるべきだと思っていた。
 だが、叫んだ瞬間、すべてが開けた。
 紛れもなく、世界が開いた。
 宇宙を開拓する人か、それとも船に乗せられた犬か。そんなことはどうでもよかった。
 そこにある星の傍にいたい。
 軌道を外れ、宇宙に放浪する恐怖など、なかった。今もない。
 そして、集落に医療を届けたいというボーマンらしい理由を語られ、クロードは強く賛同をした。
 純粋な尊敬もあった。そして、彼の妻であるニーネの前では、隠したい心の奥底もあった。
 だったら人手が欲しいでしょう、ともっともらしいことを告げて、まっすぐに彼を見据えた。
 だからボーマンは小さな動揺とため息のあと、妻の前でクロードの肩を抱きとめてくれた。友情の抱擁。
 それだけですべてが満たされるかと思うほどだった。
 でも、これからだ。
 その抱擁は、これからをもっと渇望させる。
 永遠に続くような、浪漫のような宇宙の時間を、夜空の先に願う。朝の向こうを知りたがる。
 もし本当に自身が犬ならばきっと、この先の末路など考えず、今の愛しさだけを信じ続けられただろう。
 そういえば。
 ボーマンはクロードにまだ、エルリアへ一緒に行く理由を聞いてこない。
 故郷に帰らないのか、とさえ尋ねない。本当にいいのか、とも確認しない。
 わかった、と一言だけ。優しいその一言だけだった。
 聞かれたとき何を応えようか、もう心は決まっていて、言葉は決まっていない。
 あなたとの永遠が欲しいのだと、どう告げれば、この人に伝わるのだろう。
 あなたがいる限りはこの星にずっといる。そんな照れくさい本音は、きっと冗談にされてしまう。
 クロードは、握っているこの手の熱だけで、言葉以外の想いを届けられたら、と幼く想う。
 幼いときには、握る手になんの疑問もなかった。
 約束が守られないときには、泣きじゃくった。愛してもらうことが、自分のすべてだった。
 約束なんかひとつもない、繋いだこの手だけで宇宙さえ感じるようになったのは、可笑しいほどに真剣な心のせい。
 愛したくて、たまらない。
 永遠に、一緒にいてほしい。
 ほんの少しだけ成長した気持ちと、子どもの頃から変わりばえのない気持ち。
 大人らしい、子どもっぽい、バランスよく生きる年上のボーマンに憧れる。少しは近づけているだろうか。
 しっかりと握るこの距離のように。薄手の手袋一枚が邪魔をする、この距離のように。


::

 半周進む頃には、クロードも少しは慣れてきた。
 それでも歩く間に見つめ過ぎていたのか、ボーマンがちらと視線を合わせてくる。
 見惚れてましたと降参して崩れるように笑うと、ボーマンは何故かまた視線を背けてしまった。これでは、にらめっこもできない。
 ボーマンの耳の裏にあるほくろを見ていると、ばさりと羽根の音がする。
 まだら模様の小さな鳥が一匹、目の前を横切った。
 人間がいたことに驚いたように、ぐるりと旋回して、柱の向こう側へ飛んでいく。壁の隙間に巣でもあるのだろう。
「歩くと結構、一周は長いな」
 鳥の動きに目を取られていると、同じように見ていたボーマンがつぶやいた。
「ああやって、飛んじまえば早いけどよ」
 空いているもう片方の手首で、空中に水平な輪をえがく。
「そりゃあ、鳥だったら速いですけど」
 鳥の翼や鉤爪では、こうして手を触れ合ってはいられない。
 物言いたげにクロードが指で手の甲を撫でると、分かってくれたようだ。
「まあな。人間は歩いたり、跳ねたり、そうだ。走るか?」
 ぐい、と腕をひっぱられる。とんとん、と歩きながらも弾みだすボーマンの尻尾が揺らめく。
「早く終わらせたいんですね」
「そういうわけじゃな、……うーん」
 あっさり肯定されるかと思えば、否定をためらわれた。ボーマンは首をかしげ、クロードも内心首をかしげる。
 勇み足で失敗するのは嫌だ。そして、少しでも長くこの時間を楽しみたい。
 クロードはそう思っても、ボーマンがそうであるだなんて、期待ひとつできない。特に後者は。
 考えてみればこんなことは早く終わらせて、宿に戻りたいはずだ。気付いてしまうと、不安になる。
 ボーマンは、クロードの自己満足に付き合ってくれている。
 こんなつまらない散歩で、決してつまらなそうではない。悪くない沈黙。なんでもない会話。
 この手から燃える情熱はクロードからの片側だけだとしても、穏やかな雰囲気から逃げ出そうとはしていなかった。
 だが、彼の内心を本当に分かっているかどうかとなれば、それは自信がなくなる。
 しかと分かっていたら、横恋慕などする自分自身が許せないだろう。
 きっと誰よりも一番ボーマンを分かっている、永遠に近いのは、自身でない。クロードは心のささくれを引き千切る。
「なんだかよ、走りたい気持ちなんだよな、今。俺が」
 引き千切るのを止めるように、ボーマンが呆けて呟く。
「明日ついに、ってのもあるんだろうけどよ」
「準備に思ったより時間かかりましたからね。それで、わくわくしてる」
「おう。それでちょっと興奮してるのも、あるんだろうけどよ」
 少し急いたその言い方では、他にも理由があるようだった。
 しかし、ボーマン自身にもつかめないところに浮かんでいるのか、思慮深げに視線が彷徨う。
 興奮していると言われて見れば、確かにそうだった。
 緊張していないのは見て取れたが、それ以上に今のボーマンには、湧き立つところがあった。
 まさかだが、それは。
 クロードに湧き立つものと、似ているのではないか、と思えてならなかった。
 明日から、過ごせる日々。明日からの、毎日。冒険のあとにも終わらない続き。
 復興の手伝いが、新しい生活のはじまりという事実は、間違いない。
 その生活に、『永遠』を期待するのはあまりにも不謹慎だ。だが。
 永遠のきざはしに、爪先を掛けるような感覚はあった。踵が浮いたまま、膝を伸ばすような、感覚。
 走りたい。
 走って行きたい、とクロードの脳髄にも轟きがあった。
 乱暴に駆けていかなければ、足場が崩れるような恐怖と、はやくその先に向かいたい欲望が混濁する。
 心臓が跳ねる速度と同じように、鳥が飛んで行くように、まっさかさまに駆け登りたい。
 まさかだが、それは。
 ボーマンの言葉の意味と、同じなのではないか。
 この手の心臓は、断ち切れるほうが想像しやすい。
 走りだせば、何が起こるかわからない。そこで転んでしまえば、簡単に終わるだろう。
 ここまで来ている。
 今までは十分にも満たない時間。歩いて回って、すでに入口ロビーが見えるところまで来ていた。
 気づけば、あと四分の一と少しを歩いてしまうだけで、最初の柱に辿り着く。
 ほんの少し。そう思うと、手が届くような気がしていた。
 『永遠』に、歩いていける気がした。走って行きたい気がした。
 既に、おまじないなど信じていないと自分を騙せない。なんの保証もない将来を祝えるのだったら。
 これからのことを思い描けるのだったら。
 いや、ボーマンはそこまで思ってはいないだろう。ボーマンはきっと、単純に、身体を動かしたいだけだろう。
 そうだとしても。
「僕も。あなたと同じ気持ちです」
 鳥が、ヒョウと鳴く。
 夜明けを待つ静かなこの世に、寂しげな声が響く。

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 クロードの言葉からわずかな間の後、ボーマンは駆けだした。
 クロードも、腕を引っ張られないようすぐ追いつく。
 手をつないだまま。全力で疾走したいのを堪えるように、大股でリズミカルに、肩を並べて。競争するように。
 二人分の足音が響く。
 二人の声よりも、鳥の声よりも、星の瞬きよりも、騒がしい。
 は、と呼吸が洩れた。
 はあ、と吐息が溢れた。
 僕らの永遠の最後はきっとこんなふうだろう。脳に酸素が足りなくなったのか、クロードは妙なことを思った。
 終わりのある永遠なんて、望んじゃいない。
 風がざわざわと顔に打ちつけてくる。闘技場中央が一層明るく染まっていくのが、目の端に映る。
 はははは、とボーマンが可笑しそうに笑う。くすぐったいものを、紛らわすように。
 こんな状況をごまかすように。
 冗談にしてしまわなければ、真剣になってしまいそうなこの事態を、笑い飛ばそうとする。
 クロードは、ただぎゅっとまた手を握り締める。やはりそれしかできない。
 文句を言うこともできない。愛の言葉も語れない。
 僕を見てください、と言ってなにが叶うだろう。さよならを待つ永遠か。
 何も言わずに、ただ視線を交わすことが、あまりにも、あまりにも。狂おしかった。
 言葉がすべて届いているかのような錯覚。
 さああと数歩。手を繋いでいなかった地点は越えつつある。柱があったのは確かこの辺りだ。
 鳥が翼を広げてぴゅうと横切る。気を取られたりしない。だんだかだかだんだんだん、あとそのくらい。
 目の前だ。
 きっと何のファンファーレもなく、通り過ぎることができるゴール。
 心の鐘は鳴らすのを待って、固い紐を握る。りんりんりん、既に揺れる。
 このまま走ってもう一周くらいしたいと感じた。
 肺からすべてのため息を捧げ、この『遊び』を続けたい。幼子のように、明け方に消える星のように。
 離れるわけがないと思えた。なにがあっても。
 ボーマンの笑い声につられて、笑う。
 金属音。
 がしゃ、がしゃりと武骨な音。
 二人の世界に入り込むその音は、声を上げた。
「なにしてるんだろ?」
 遠く、のんびりとした、若い男の声。
 振り向きかけると同時に、ボーマンが手を放した。離れた。
 そして足の裏が、柱のちょうど横にたどり着く。
 空気を掻く手。さきほどまで心のあった手。片側よりも、ずっと熱を帯びている。
 振り向くと、城の兵士が入口に立ってこちらを見下ろしていた。
「あ……、ああ」
 応えあぐねていると、兵士はふあぁと隠しもせずにあくびする。現実に引き戻されていく。
「あれ、えーと。今日エルリアに行くって二人でしたっけ」
 今までのは夢でしたよと容赦のない言葉。
 そうだぜ、と無愛想に応えながらボーマンは、クロードの背をぽんと叩く。
 さきほどまでクロードに触れていた暖かい手、そして一度離れた冷たい手。
 失意の最中のように、クロードは膝を床についた自身に気づいて、立ち上がる。頭が揺さぶられる。
 なんだったのだ、今のは。
 分かる。ちゃんと分かっている。分かり切っていた。
 永遠なんて、追い求めても、そんなものだ。
 いや違う、一周に失敗しただけ。
 ただそれだけ。
 それだけで、掌からいくつもいくつも、熱を帯びた星屑が零れ、黒ずんでいくようだった。
 一人で指を握ると、てのひらの熱が現実だったことが思い起こされ、ますます燻る。
 二人の掌の中に、永遠が眠っていた。あの瞬間までは。そう思えた。もう霧散した。
 なんてきれいな毒だろう。
 僕らの永遠の終わりはきっとこんなふうだ。
 
::

 凛とした朝の色に触れながら、城を出て、宿に向かう。
 肩を並べて歩くが、ボーマンは白衣のポケットに両手を突っ込んでいた。
 まだ朝早すぎて、誰もいない広場。きれいな空気。今日も青く染まるであろう空。
 深呼吸をする。川の水がきらきらと反射している。新しい朝、美しい光景。
「あとちょっとだったな」
 惜しむような台詞に、心の一致を感じてはいけなかった。ボーマンの言葉は続く。
「まぁ練習だし、本番うまくやれよ」
 体中が泣きそうだった。ひとりで手をつなぐなんて、祈りの他に何ができる。
 淡々と告げる、ボーマンの顔が見られない。さっき笑っていた彼は今、クロードの顔を見ない。
 手袋をもどかしくはずす。ボーマンの手を握っていた手袋。
 恋を願い、永遠を奪おうとした手。
 両手の指を重ね、てのひらを見つめながら組む。ゆっくりと、引き離す。
「おい、どうした?」
 クロードはボーマンに自分の手袋を押しつける。決闘めいて投げるわけでもなく、無言で彼の手元に渡す。
 そして、広場にある芝生の円周に沿って走った。
 チチチ、と鳥が頭のずっと上を飛んでいく。
 ベンチの座席を行儀悪く踏みつけて、時計の柱に手をついて、胸の奥を引きずり出すように、走る。
 そして一周。あっという間の、一瞬だった。短い。ほんとうに短い。
 こうして息を止めて走っても平気なくらいに。
 呆気にとられていたボーマンのもとに戻ってくると、クロードは彼の両肩をその勢いのままつかんだ。
 口を開いて何かを言おうとして、そして、何を言おうとしたか、分からなくなる。
 なんで走り出したのかも、自分が分からない。
 ただ、自分だけは一周してやろうと思えた。狭くて小さな代用だろうと。ボーマンの目の前で。
 混乱した瞳が熱を帯びてくる。
「ボーマンさん」
「なんだ?」
「ボーマンさん」
「だから、なんだよ。変なやつ」
 優しい。厄介そうながらも、優しい。
 この声をずっと聞いていたいと、クロードは感じていた。この距離で。すぐそばで。
「……宿に戻って、休みましょう」
 言いたいことではなかったが、ボーマンはクロードの左肩をぽんぽんと触れる。
「数時間寝たらすぐ、ヒルトンに向かうからな」
 ヒルトンからエルリアへ。これからも一緒なのに、どうしてこうも胸が軋むのだろう。
 今から終わりなど考える必要がない、永遠に手を伸ばしたせいだろう。
 クロードは頷いて、ボーマンの肩から手を離す。
 そして返された手袋のぬくもりに、少しはボーマンの温度が触れていた。
 背を向けて手袋をはめ直し、指先をそろえる。この手はつなぐためだけじゃない。
 そして、つながるためのもの。
「がんばりましょうね」
「おう」
「はやく復興させましょう」
「そうだな。頼むぜ、クロード」
 朝日が昇る。目ににじむような光。
 もし同じ永遠でも、友情を求めていたら、叶っていただろうか。
 だが、それでは意味がなかった。心を満たさなかった。ボーマンへのつながりを、友愛ではごまかせなかった。
 永遠を拒絶されてもいい、世界に、宇宙に、永遠なんかなくてもいい。海の向こうに星がなくても。
 強がりだ。
 永遠が欲しい。愛してほしい。愛させてほしい。永遠に。
 強くなろう。
 恋なんかにするつもりなかった。恋にしてしまったなら、もう貫くしかない。明日からも、ずっと。ずっとずっと。
 この熱は醒めない。
 名を呼んでくれるボーマンの声に、クロードはやはり恋心しか抱けないのだから。


150818
ジンクスなど原案/やかんさん

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